内田裕也さんといえば定期的に破天荒な行動が事件化されて報道されることがあります。
仕事も私生活もロックな内田裕也さんですが、その生き方はなんとも憎めません・・・。
過去から現在までに内田裕也さんが具体的にどのような事件を起こしたことがあるのか、または若い頃の武勇伝や伝説に関しても掘り下げて調べてみたいと思います。
内田裕也の逮捕された事件
1977年の9月には、バンドマンが持ちがちな「あれ」を所持していて逮捕されています。佐世保警察に捕まったそうです。
すごいのは裕也さんは「あれ」の対して肯定派の意見を貫いていたことです。今では考えられませんよね?針をさす方の「あれ」は嫌いらしいのですが・・・。しかし、実際には近年アメリカなどでアーティストが中心になって「あれ」の合法化を進める動きがあります、裕也さんは未来を見ていたのでしょうか?
2011年の5月には交際して別れた50歳の女性に対して、かなり手荒い方法で復縁を迫っていたそうです。
そのときに住居侵入などいくつもの罪が・・・大きく報道されました。
このこと対して嫁さんの樹木希林さんは、
「あんな男を放っておいたらもっと迷惑を掛けるから、自分がいる事で最後の一線を越えさせないようにしているんだ」
と発言されたそう。裕也さんもロックだけど、希林さんはもっとロックだ・・・。
過去の武勇伝・伝説。何の仕事がすごくて大物に!?
内田裕也さんの武勇伝は数多くあります。
怖い人に連れさられても、度胸を見せて相手方に関心されたり、機材に文句を言った海外の大物アーティストとやりあったり、自分よりも強い相手にも負けじと向かって行くロックな伝説が多く残っています。
若手時代のキャロル及び矢沢永吉さんとやりあった伝説は有名です。当時からバチバチだった両者ですが、最終的にはキャロル側が内田裕也さんに謝罪したそうです。
元々は矢沢さん側から内田裕也さんにプロデュースのお願いをしていた経緯もあったそうですが、焼肉屋にて矢沢さんが内田裕也さんに対して自身を殴ってくださいとお願いしたそうで、そのときに内田裕也さんは彼が大物になる予感に気づいたそうです。(実際に殴ったかは謎です)
また、当時から大物であったやしきたかじんさんの「たかじんバー」に出演した際に、ちょっとしたトラブルがあり、裕也さんは楽屋に帰ってしまったそうです。当時から力を持ったたかじんさんでさえも、その時の裕也さんのオーラを見て「あのとき俺がもう一言二言言ってたら間違いなく・・で・されてた」と発言されていました。
さらに有名なのは都知事出馬でのPRの仕方です。英語で舌打ちをしながら自己紹介し、その挙句にジョンレノンの曲を歌うという内容・・・。当時の無職属では1番の投票を得たそうです。流石のカリスマ性ですね!
若い頃はビートルズの前座や俳優業で名を世間に知らしめました。
その後のプロデューサーとしての活動では当時の日本では難しかった大物海外バンドとのコンタクトを積極的に行ったり、日本では馴染みのないフェスイベントを70年代から開催していたり、今の日本では当たり前のことを40年以上前からされていたんです。
そのフェスは長く続きましたが、お金の計算が苦手ということで興行的に成功していたとは言い難い結果でした。でも、やりたいことをまず実現させたという心意気が評価されているのです。
他のフェスが完成する前に前例を作ったのはとても素晴らしい功績だと思います。
誰もが知る代表曲などはありませんが、内田裕也さんは日本のロック界で大切に扱われるべき大物であることには間違いありません!
これからどのようなロック人生を続けるのか分かりませんが、希林さんのことで関心を抱いた方が多くいると思うので、見る目は少しは変わったかも?です。
ncG1vNJzZmiqn5i4brrOrZxnm5%2BifGaRlF5vb11oanKGg4Rya156YFqSeXGgbFxybVV6gWaOmF5wf2egpMC1eZVuaXFn